エッセイ参考作

ベランダサンルームで日向ぼっこしている、みり

『さようならリリー』

02年10月12日。僕の家に猫用のサンルームが出来た。狭いリビングを削って作った。僕の夢だった。


もう何年前になるだろう。僕は仕事ができないボロ雑巾のような男だった。狭くて汚いアパート暮らし。友達も少なかった。そんな僕が公園で拾った死に掛けていた子猫。それがリリーだった。ミルクを一滴ずつ飲ませ、僕はリリーを育て上げた。リリーは僕を父親か恋人かのように慕い、いつも僕たちは一緒だった。だけど、リリーは「狭い部屋が嫌だ」と言い、外に出てしまい、そして死んだ。幸せだった一年間。本当に幸せだった。猫がこんなに幸せをくれる生き物だとは思いもしなかった。僕は絶望し、だけど立ち上がった。

「リリーとの約束がある。猫の家を建てるんだ」

リリーが死んでから、僕は身を粉にして働いた。馬鹿な仕事も危険な仕事もしてきた。リリーが死んだ後、呼び寄せられるように僕の元に来た涼子、みり、りん。次から次へとノラ猫が入ってきて、僕は悲鳴をあげた。「リリー、もう無理だよ」。すると、途端に猫は来なくなった。町でも捨て猫と出会わなくなった。

02年。僕は長年貯めていた貯金を頭金にして、のっぽな家を建てた。猫は縦に運動する動物だからだ。その家のリビングには、中途半端なベランダがあった。リビングを狭くしてしまうその空間は使われておらず、来訪する人たちは不思議がった。

猫は絶対に外に出さない。だが、太陽に当たらず、風にも吹かれないと体に悪い。猫専用のサンルームが必要だった。設計士さんと綿密な打ち合わせを繰り返した。「陽がよく当たり、風も通り、雨風に強く、しかもカラスが襲ってこないベランダ」。そういう僕に設計士さんは困惑した。

家を建ててから三ヵ月後。遅れて完成したベランダサンルームは、少々無骨な作りになったが、陽光はよく入り、風が通る素敵な空間になった。扉を開けると、外が怖いはずのみりが出て行った。神経質な涼子も出て行き、隣のアパートの人に驚いて、目を丸くした。りんは体を回転させて、喜びを露にした。「みんな怖がって出なかったらどうしよう」。そう不安に思ったが杞憂だった。リリーが背中を押したのだ。慎重な涼子が何事もない顔でサンルームに出て行ったのがその証拠だった。みりは僕が座るために置いた椅子を占拠して、そこでずっと日向ぼっこをしていた。小春日和の秋。僕はサンルームに集まったみんなを見て幸せをかみ締めた。そこにはリリーの姿もあった。

次の日、リリーのことをよく知っている人と飲みに行った。

「俺の仕事は終わった。もう、隠居するよ」

仕事はまだまだたくさんある。だけど、半ば本音だった。

リリーのために生きてきた長い年月が終わった。

リリーもこれで天国へいけるはずだ。

「さようなら、リリー」

ずっと言えなかった言葉を僕は心の中で呟いた。
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