エッセイ参考作

『才能は死の恐怖から生まれる。』

昨日、うがいを終えた瞬間、口の中に残っていた水を気管に入れてしまい、呼吸不全に。
まったく、息が出来ないこと一分から二分。呻いているだけで声も出ない。
胸、喉、床、壁を殴って蹴って、のた打ち回って、ようやく少しだけ呼吸が出来るようになったのが何分後か。
それでもまだ少ししか空気が通らない。
心臓が辛くなっていく感覚。死の恐怖。
意外と冷静で、「あと一分、心臓がもつか」と考えながら、暴れていた。
ようやく水が切れて(気管から出た)、呼吸が出来るようになって、僕は洗面台掴みかかって立ち上がった。
肺が痛い。水を切るのに、ものすごく肺からの力が必要なのだろう。
これをやると決まってしばらく肺が痛くなる。
というのも、僕がこの事故に遭うのはこれで四回目。
気管に水が入りやすい喉の構造になっているようだ。
ちょうど一年くらい前に、ペットボトルの水を飲み損ねてやってしまった時にはもっと酷くて、たまたま傍にいた女性が泣きじゃくってしまった。
「このひと死んじゃう」と思ったらしい。
それくらい、悲痛な姿を晒しているようだが、僕は喘息のように呻きながら、泣きじゃくる彼女の背中をさすっていた。
「俺が死んだら泣いてくれる女がいたのか」と思って、声がでない代わりにお礼のつもりで。

死の恐怖ばかりを味わっている人生。
心臓神経症というわけの分からない病気に十代の頃に襲われ、「心臓が止まる」という幻覚に毎日苦しんできた。
二十一歳の時には原因不明の呼吸不全。
病院で、「なんの病気かわからない。呼吸器の痙攣だと思う」と言われて、はい終わり。
それから水を詰まらせるようになって、もう何年も経つ。
辛いのは、水を飲む時に気を遣わないといけないこと。
特にペットボトルは、水がすうっと口の中に流れ込んでくる。
僕の場合、その水が気管の方に流れ込んでしまいやすいというわけだから、いったん口の中で水を止めて、呼吸も止めて飲まないといけない。
特にスポーツをして、息があがっている時に失敗したら、間違いなく死ぬから、水を飲みたくなる夏場のスポーツには神経を使う。
だから僕は水泳はしない。
こんな話ばかりしていると、すごく病弱な男に思われるかもしれないが、まったくもって健康で、普段はスポーツジムに通い、自宅にはサンドバッグがあって、鍛錬に事欠かない。
親は、僕の奇病の数々を「自分のせい」と言っているが、誰のせいでもなく、五体がきちんと動く健康な体をもらって感謝している。
そもそも、親、親戚などに、芸術肌の人間がひとりもいないのに、誰に似たのか突然文章を書き出し、写真を独学で極め、それらを仕事にしてしまった僕のこの才能は、病気がもたらしてくれたのだ。

人間の才能は、どうやって開花するのか。
まずは、生まれた瞬間に天才として出来上がっている人間。三島由紀夫の自伝を読んでいると、そんな感じだ。
一方、途中から才能を開花させていく人間もいる。その人たちの多くが大病を患っているのだ。
大病をして、生死の境を彷徨って、目が覚めたら、悟りを啓いていた。という人は多い。
僕もそう。死の恐怖を味わう毎に、言葉が生まれ、妙に精神力が強大になり、優しくなった(自分で言うな)。

昨日の僕は冷静だった。
わずかな時間の間、それも呼吸が完全に出来なくなっている状態で、僕の脳は信じられないくらいの情報を僕に指示した。
「ばか者。うがいだと思って油断したな」
「あと、何秒我慢できるか。30秒だ」
「救急車を呼びに行くな。それよりも肺と喉をもっと叩け」
「心臓の動悸が激しくなってきたら、それはおまえの焦りだ。だから落ち着け」
「もっと床を殴って肺に力を集中させろ」。
窮地に追い込まれた僕の脳は、普段の人間が発揮できない120%の力を発揮した。人の才能はその時に開花するのだ。

そして苦しくて涙が出そうになると、愛した人の顔、リリーの顔が浮かんだ。
僕は洗面台にしがみ付き、鏡を見た。「白髪が増えたかな」と思った。
今日から撮影だが、床を殴りすぎて、右手が痛い。だけど、いい作品が撮れるような気がする。
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