エッセイ参考作

『命』

いったい今の若者たち、そして少年たちは命をなんだと思っているのだろうか。
人や動物を簡単に殺して、哀しみを感じないなんて、やはり親の責任ではないか。社会全体の責任ではないか。
凶悪犯罪者には共通点がある。
みな、幼い頃から虫や小動物を殺しているのだ。
だから、それを見つけた親が、その時に子供の心をケアしないといけない。
長崎の少年の場合、以前から幼児に悪戯をしていた。打つ手はあったはずだ。
奈良公園では、鹿が矢で撃たれたり、縄で縛られ窒息死されられたりする事件が起こっている。
猫の虐殺は日常茶飯事。
沖縄では、中学生グループが同級生に集団暴行を加え、生き埋めにして殺した事件がついこの前起こった。
命が消えたら、二度と戻らないこと。
それがどんなに哀しいことか、なぜ親は教えられないのだろうか。
以前、競馬の名馬、サイレンススズカという馬が骨折して死んだ時に、掲示板に「どうせ馬なんか馬肉になるんだよ。ばーか」という競馬ファンの書き込みがあって、私がそれを注意してひどい目にあったことがある。
「里中はいい人になろうとしている」と掲示板やメールで、延々と嫌がらせを受けた。
「関係者の無念もあるから、そんなことを言ってはためだ」と言った私が悪者になったのだ。
そういう世の中なんだ。どこの国も一緒だろうが、この国にいるのが嫌になっている。
今度、わりと治安がよく住みやすいと言われているある国の町に旅行に行く予定がある。
有名人の豪邸も多いらしく、日本に比べて土地は格段に安いから、隅々まで見てきたい。
私は職業柄、別に日本にいなくてもいいのである。

私は子供の頃に、セキセインコの雛を誤って死なせてしまい、それがひどいトラウマになっている。
あの時のショックは忘れられない。
友達が死んだ時には、「俺もすぐに逝くから」と棺桶に向かって呟いたほど落ち込んだ。
リリーが死んだ時には食事も摂らなくなった。
ノラ猫を轢くのが怖くて車をやめようと思った事もあった。
それが普通じゃないか。
戦争の取材に行って、記念に爆弾を持って帰ろうとするような大人がいる国だ。
平和ボケしているのだ。死はゲームの中で安易に取り扱われていて、大切なものという判断が子供には出来なくなっている。
戦争でもするか。例の国と。
そうでもしないと、死の恐怖も死の哀しみも子供には分からないだろう。若い大人にも。
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